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年調とダブルベッド



『聞きたいことがあるんだけど、今から行っていいか?』
午後11時30分、サイジョウから電話がかかってきた。
『何こんな時間に。明日じゃだめなの?』
お風呂に入って寝る準備をしていたサヨコは断ろうとしたが、
『明日提出なんだ。』
と押されて、30秒後なったベルに鍵を開けた。


「遅くに悪いな。」
そういいながら、サイジョウはビールを差し出した。彼もシャワーを浴びたばかりなのか、髪が濡れている。
「どうしたの?」
ビールを受け取り、プルトップを空けながら言う。
(サイジョウ君もいる?)という風に、缶を上げると
(今はいい。)
と言うように彼は首を振り、珍しく断った。

「あのさ、これの書き方教えて。」
サイジョウがテーブルに広げたのは、2週間ほど前に一斉に配られた年末調整のための保険料控除の用紙だった。
「あー、だから今夜なのね。」
サヨコは納得した。明日は部単位の提出締め切りなのだ。
「それにしても毎年書いててまだ分からないの?」
「興味なくてさ。」
「興味がない、ね。で、サイジョウ君保険何入ってた?」
「医療保険と生命保険。」
「サイジョウ君、生命保険は入ってたっけ。」
「まだ独身だし必要ないと思うんだけど、大学時代の友達に頼まれてな。」
「ふーん。そうそう、マンションの火災保険も控除対象になるわよ。保険会社からもらった葉書とかとってる?」
「ん。去年とってなくてサヨコにすごい怒られたから、今年は丸々この封筒の中に入れてる。」
「開けていい?」
「頼む。」
サヨコが封筒を逆さにすると、ばさばさと封筒やら葉書やらたくさん出てきた。本当に丸々何にも考えず封筒に入れてたらしい。表を見ながら、分別する。
「これが必要書類。」
サヨコが差し出したのは、大量にあったそれらの中からたった3通だった。
「たまには自分でやってみたら?」
「それが分からないからサヨコに聞いてるのに。」
「やればできるのに、どうしてやらないの?」
「人に聞いて分かることまで覚える必要はない。頭の容量なんて決まってるんだから、人が分からないことを覚える方がいいじゃないか。」
「全く、ああ言えばこういうんだから。」
サイジョウの言ったことの合理性に『なるほど』とは思いながらも、素直に認めるのは癪でサヨコはわざと溜息をつきながら言った。

「えっと、これが一番上の一般の欄。火災保険は真中に書いて。医療保険は・・・。対象外ね。」
「どの数字を書くの?」
「ん、年間予定額のところ。変更はしてないんでしょ。」
「してない。そう思えば、去年も書いたような気がする。」
「今頃思い出しても遅いわよ。」
サヨコはサイジョウが書く様子を見ていた。小さい頃、近くのおばさんに書道を習っていたと言っていたサイジョウは、右上がりで少し癖はあるがなかなか読みやすい綺麗な字を書く。
「それにしても、毎年思うんだけど、これを書いてたら、どこかに扶養親族いないかしらと思うわよね。保険にもっと入ろうとかさ。」
サヨコは何となく手持ち無沙汰で、ビールを飲みながらサイジョウに話し掛けた。

「ふーん。」
「私なんて医療保険だけで生命保険入ってないから、控除対象がマンションの火災保険のみだもの。毎月毎月税金ひかれてるのは一緒なのに、控除額が少ないと寂しいじゃない。その点、住宅控除とか配偶者特別控除は大きいわよね。」
「この火災保険はどっち?」
「保険期間が1年だから、短期のところ。」
「ふーん。最高3000円だから、計算はこの式に当てはめればいいんだな。配偶者特別控除。ふーん、この欄か。サヨコ、配偶者がほしいのか?仕方ないなー、配偶者になってやろうか?」
「は?サイジョウ君が配偶者になったところで、特別控除受けられないじゃない。サイジョウ君は控除を受けるには収入が多すぎるし、控除受けるためにサイジョウ君が無職になるなんてそんなバカらしいことないでしょ。しかも来年から廃止されるし。特別控除の意味分かってる?新聞読んでる?」
「新聞は読んでるけど、あんまりよく分かってない。計算あってるか見て。」
サイジョウが先生に提出するように、両手でサヨコに申告書を渡した。サヨコは書類をめくりつつ、鉛筆を持ち軽やかに電卓を叩く。
「はい、大丈夫です。この保険料の証明書、後ろに貼って提出してね。」
「はい、分かった。ありがとう。」
訳の分からないことをいう割にもかかわらず、その返事は好青年の返事だった。


必要書類とたくさんの不必要な書類ををしまっているサイジョウにサヨコはビールを最後ごくりとを飲んだ後、からかうように聞いた。
「サイジョウ君、もしかしてさっきのプロポーズ?」
「はあ?なにが?」
「配偶者になってやろうかって言うやつ。」
「違う。税金の話。」
「税金の話っていうレベルに全く達してなかったと思うけど。まあ、プロポーズするんだったらもっと気合入れてしてね。薔薇の花束50本とか3カラットくらいのダイヤをぱかーっと箱から出してとか。」
「だから違うって。それに俺は昔のトレンディードラマの主人公じゃないから無理。控除も少ない貧乏サラリーマンだし。」
「あはは、確かにね。しかも控除が少ない貧乏OLを彼女に持ってる、サラリーマンよね。さて、サイジョウ君、来年は今年やったことをよく覚えておきましょうね。」
幼稚園生に言うようにサヨコは言った。
「それにしても眠いわ。忙しい時期で早く寝たいのに、お馬鹿な彼氏は書類の書き方が分からなくて聞きに来るし、頓珍漢な事言うし。更にビールも飲んだし、眠たい条件山盛りだから仕方ないけど。」
「悪かった悪かった。もう寝なくちゃな。なあ、サヨコ、一緒に寝ようか?」
サイジョウが体を寄せる。。
「嫌よ。明日仕事なのに、狭いところで二人では寝たくない。」
近づいたサイジョウにサヨコはこれ以上は近寄らないでと言う風に両手を出す。
「それが必死にプロポーズした彼氏に言う科白?」
「何がプロポーズよ。訳も分からず言ったくせに。しかも、さっき思いっきり否定してたくせに。一つ質問なんだけど、サイジョウ君、配偶者って言う意味知ってた?」
「妻から見た夫、夫から見た妻のことだろ。それぐらい知ってる。」
「へー、そこまでは知ってたんだ、えらいえら・・。」
サヨコは途中まで言って思わずあくびを漏らした。
「あーもうだめだわ、眠い。もう寝るわ。バカ話もここまで。じゃあ、サイジョウ君オヤスミ。」
とさっさと話を変えて、ぺこんと頭を下げた。
「はい、オヤスミ。」
サイジョウはそう言って、サヨコに髪にキスしてベッドに入ろうとした。
「ちょっ、違うでしょ。そのベッドは私のベッド。もう、明日疲れるでしょ。家に帰りなさいよ。」
ベッドに入ろうとするサイジョウの手をつかんで、引き止めた。
「嫌。今日、忙しかったんだ。」
サイジョウが振り向いて上目遣いで訴える。
「それは私も同じ。」
「なー、サヨコいいだろ。サヨコ抱き締めて寝たら元気が出るんだけどなー。」
「狭いでしょ、肩凝るでしょ。」
サヨコは全く動じない。
「サヨコー。」
「だめです。鬼千匹と戦ってるのよ。睡眠は命。平日はだめ。」
「鬼千匹ってなんだよ。な、サヨコ、お願い。」
「だめ。」
サヨコはきっぱりと言った。サイジョウは言葉で訴えるのをやめて、目を合わせてきた。
たっぷり3分後、溜息をついたのは、サイジョウだった。

「くそっ。結婚したら絶対にキングサイズのベッド買って、毎日一緒に寝てやる。がんじがらめに抱き締めて寝てやるからな、覚悟しとけよ。」
「結婚したらね。」
サヨコはあっさりと言って、サイジョウを送り出すために、と言うよりは押し出す為に玄関に向かった。
サイジョウは玄関のドアの前でくるりと振り向いた。

「だめ?」
「だめ。」
サヨコはにっこりと笑って断った。
「オヤスミ。明日も頑張りましょう。これ、年調の書類、忘れないで。」
差し出した書類をしぶしぶ取ったサイジョウに、サヨコは軽くキスして鍵を開けた。
「税金返ってきたら何かおいしいもの食べようね。」
そう言ったサヨコにサイジョウは
「ダブルベッド買ってやる。」
と一言残して帰って行った。なんともかわいらしく色っぽい捨て台詞にサヨコは扉を閉めた後、しばらく笑いが止まらなかった。

一体幾ら税金は返って来るだろう。返って来たら何をしよう。12月のお給料日は次の日が休日でも平日でもサイジョウと一緒に過ごそうとサヨコは思い、電気を消した。




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